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【清水港の美しいみなとづくりのはじまり】市民、カモメすら立ち寄ることのできない港から始まった

 

清水港は、砂嘴として形成された三保半島を防波堤に天然の良港として栄えた静岡県の国際拠点港湾です。富士山世界遺産を借景に三保松原を有した日本三大美港のひとつであり、富士山信仰をあらわした狩野元信印「富士曼荼羅図」や名山としての景観を象徴する歌川広重「富士三十六景」の作品には富士山を遠景とし、手前に駿河湾・清水港が描かれています。

市民、カモメすら立ち寄ることのできない港から始まった

しかし、1990年代、日本の経済成長を牽引してきた全国の港湾同様に清水港も産業に特化した港として赤白煙突からは煙があがり、「煙突の数が港の元気の象徴」といわれ、港湾荷役機械は危険喚起のため真っ赤や黄色と黒のトラマーク、港湾環境は産業活動の場と化し、危険防止のため、市民立ち入り禁止区域でした。そのヒューマンスケールを超えた威圧感、殺伐感は、見ることすら拒絶した空間となり、霊峰富士山の自然景観に調和した(対峙できるほどの)人工景観(港湾景観)を創出する取組を始めたのが「清水港・みなと色彩計画」です。

そのための基礎調査としてはじめた景観・色彩現地踏査では、女子学生への「港は、女、子供の入る場所じゃねえ」と一喝され(今でしたら考えられないことですよね)

その迫力に身をすくめ涙ながらに調査をし、出始めた当時のパーソナルコンピュータ、カラー仕様も246色。それでも便利になったことに喜んだもの。もちろん、現在の高性能なデジタル色彩測定機器すらありません。清水港の土、砂、空、海色の風土色、臨港地区500ヘクタールのベルトコンベアーやタンクの施設・工作物の全て測色は、絵具で調合し色票を作成ながら気の遠くなる作業を重ねました。その抽出された色彩を分析、事業者の意向調査を踏まえ、「費用がかかる」「CIカラーがある」「本社への打診が必要」等々の協力賛成37%の回答しか得らませんでした。この結果からは、計画実現は見通せず、思案したのが協力しやすい計画づくりです。自主的取組につながる清水港湾の多機能なゾーン毎の将来イメージを設定し、現地調査で得た立地事業者意向を元に配色パレットを作成しています。

また、計画を進める上では、事業者への補助金、減税制度がないなか、事業者の業態、経営理念、中・長期経営計画による目指す姿を共有することから始まります。事業者の施設・工作物機能、安全管理、利用面を把握しつつ港湾機能と清水港の風景づくりの最大限に無理のない方法を対話による協議を重ね、最適化を求めるアドバイスをすすめています。

その結果、美しい港湾づくりの担い手の主体的取組につながり、時代、社会変革を捉えた港湾の将来像を見据えた提案により、美しいみなとづくりの実現者は各事業者となり、一事業者は欠けてもこの風景が成り立たないこと、景観を通じた事業者の取組みを共感する仕組みは伝播しています。

景観とは「一定の広がりを持つ土地・環境の姿形」「環境の眺め」と定義され、「景観は地域の自画像」ともいえます。

この30年間余りかけて、清水港湾に立地するタンク、サイロ、倉庫などの施設・工作物は、色彩、空間デザインによる港の景観を通じ、見る人々へ共振、美しい港づくり活動への共感が育まれました。

計画当初、「カモメも寄り付かない港である」と元静岡県知事からの言葉に、視察時には、陰で若き担当が必死にカモメに餌付けをする姿を思い出します。今はご覧のとおり、日の出地区の内海のブイにはお行儀よく勢ぞろいするカモメの姿があり、清水港の景観の秩序だてに一役かっているカモメ達です。